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ここひろブログ

私たちは東京都青梅市、羽村市で在宅介護を中心とした介護サービスを展開しています。また、地域で暮らし続けることができる社会を目指し、グループホームや小規模多機能型居宅介護、そして一般家事代行などを手がけています。
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2019年9月 井上信太郎より
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    あたりまえの幸せ

     

    私が福祉の仕事に携わったばかりの頃、深く印象に残り心に刻まれた曲がありました。それは小谷美紗子さんの『Gnu』(ヌー)という曲です。この曲は冒頭次の歌詞から始まります。

    「あたりまえの幸せを僕は忘れているのです、僕は立って歩ける。

    立って歩くということは私にはあまりにも当たり前。だけども当たり前でない人もいる、そのことにはすぐに気がつきます。さらに歌詞は次のように続きます。

    「たくさん持ってる僕の中からひとつあげた、たくさん持ってない人に手を貸しているつもりだった、たくさん持ってない人はその中からふたつくれていた。あぁ、僕ははずかしかった」

    とあります。福祉の専門職として考えるならば、支援(手を貸す?)を必要としている人にひとつ支援すると、必ず目の前の方が適切か不適切かを応えてくれる。それこそが専門職として成長の場となるので、ひとつ頂いたことになります。ただ、もうひとつ大切なものをもらっていて、実はかかわりの中で、人としての在り方を教わるのです。支援者としてかかわるときにはそもそも専門職として高いものが求めらますが、介護は手技だけではなく精神性も大きい。僕らは人生の先輩からすればあまりにも未熟。いくら手技にこだわっても精神性において私達の心の内側は見透かされ、例えば嘘の笑顔なども見破られているのもの。

    僕がまだ20歳くらいのころ、失敗に打ちひしがれたまま作り笑顔でケアにあたったとき、寝たきりのおばあさんが震える手で頭をなでてくれた。同僚の慰めなどなんの効果も示さなかったのに、その瞬間僕はすっかり救われてしまったのです。たとえ寝たきりでも、その震える手で救えるものがあったのです。今の僕がその証明。今の自分があるのはそれら数々の宝物のおかげなのです。そんなわけで今僕はこの福祉の仕事に出会えて幸せ。ひとつなにか差し出せばたくさんのことが帰ってくる仕事だと、今は知っているからです。今立って歩いている、その足で精いっぱい歩くことができる。見返りを求めず、持っているものをひとつ差し出せばおのずと持ちきれないほどの幸せが返ってきます。まずはこんな当たり前なことに感謝しながら、これからの一年をコツコツ歩もう。そんなことを考えた48回目の誕生日でした。数々の激励と祝福のメッセージをありがとうございます、この一年間でしっかり返していこう。

     

    | 心のひろば | 井上信太郎より | 08:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
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