福岡県北九州育ちの義母(マツエさん)は
3年ほど前にアルツハイマー型の認知症との診断を受け、
2年前から北九州市内の施設で生活を送っている。
先日その九州にいるマツエさんのところに見舞に行ってきた。
マツエさんと再会するのは1年ぶり。
残念ながらその時から実の娘の名前は覚えておらず、
「あんた誰やったかね?」といった調子。
もちろん今回も全く覚えていないだろうということは承知のうえ、
そんなことよりも、
暫く会わないうちに様子が変わってしまっていないか、
内心不安な気持ちでの訪問だった。
案の定マツエさんは、1年前には歩けていたのに
今では車いすの生活となっていた。
さらに驚いたことは、マツエさんを探そうと
フロアーを見渡していた時、目の前にいた老婆を、
私も嫁もそれがマツエさんであるということに
しばらく気がつけなかったことだ。
なぜ、目の前の老婆が義母だとわかったかというと、
私たちを見るなり、
「何を見よるんね?あたしに何か言いよるん!!あたしゃ知らん、なんもわからん!!あっち行っとき!!!」
などのけんか口調。
その話をしている口調や表情に昔のマツエさんの面影を感じたからだ。
もちろんいつも怒っていた人ではないが、
しゃべっている姿は確かにマツエさんだった。
もはや、暫くぶりに会うものとしては
何となくの面影でしか義母を認識することができなかったのは、
残念なことだった。
そんなけんか口調だったマツエさんも、
昔のなじみの人物の名前や住んでいた場所の話をすると
表情が変わり、心を開き始る。
施設のスタッフには決して見せることがないであろう
私たちの“母”の顔をする。
妻として、母として、一家を支えてきたマツエさん。
それらの役目を一通りこなし、
現在ではその古い記憶を失い、
新しいことを記憶することができない病気を抱え、
せっかく腹を痛めて40歳過ぎてから
やっと授かった娘のことすらも記憶の中から消してしまった。
マツエさんは、今、
遥か遠い九州の地でその余生を介護の手を借りながら生活している。
僕は思った。マツエさんを東京に連れて帰ろうと。
井上信太郎